出産と新築というのは、手っ取り早く言えば「後戻りできない経験」の最たるもんだと思われます。
オトナになると、生活というのは色んな意味でルーティン化していくもの。毎日通学したり出勤したり、そりゃあ完全にローテーションの内容が同一という訳には行かなくても、例えば週であったり季であったり年であったりとその環は様々なれど、ある程度の「ペース」というのは出来てくるんじゃないでしょうか。
ところが、「家を建てる」と言う事と「出産する」と言う事は、あからさまに毎日毎日が違う非可逆な世界を、それまで築いてきたペース打ち崩しつつがっちょり時間軸に沿って追いかけねばならない、という状況に追い込まれるってぇ話な訳ですよ。ニンシンなら腹が日に日にでかくなるし、産めば子供は(特に新生児は、本当に“日に日に”)育っていく。建築だって、ある日露骨に貯金残高ががくっと減り、実際の作業に入ってからは柱が建ったり壁が貼られたりと、やっぱり状況はめざましい勢いで変化していく。そして、一度通った道はもう二度と戻れない。お金は返ってこないし、コドモは腹の中には戻りません(笑)。
で、それが「不可逆な経験」であるが故に、それをくぐった人は、何とかして追体験したくなる。「過ぎ去ってみれば嵐のようだったあの日々を、ああこの手にもう一度」ってヤツですね。
しかもこの2つ、ほどほど珍しいが驚天動地の珍しさという程でもない。つまり、一般的に「語る」に当たって、それほど極端に世間から乖離しているトピックでは無いんですな。という訳で、大抵の人はこの経験を、「他人に語りたくなる」。しかし、語ると言っても流石に相手もありますから、対象はどうしてもご同輩、それもある意味「後輩」に当たる後続に吹聴して回る、と言うのが一般的になってしまいます。さらに、それに飽き足らなくなると、今度は「有名人の経験談」を見聞しては追体験に浸る、と。
そういった訳で、いつの日にも「家建て本」と「育児本」は常にほどほどのセールスを記録する事となり、女性有名人ともなれば、自己満足と収入の二兎を労せずして得られる「ワタシの出産体験記」をびしびしと書き連ねるに至る、と。嗚呼素晴らしき「出産」商売。
なんてな事をぐずぐず言いこいている割には、かく言う私もしっかり読みましたさ出産育児本の数々。『良いおっぱい悪いおっぱい』『赤ちゃんが来た!』『私たちは繁殖している』・・・。そして先日手にしたのは、『横森式おしゃれマタニティ』の産後編と育児編。いやあ、これがもう香ばしかった香ばしかった!もう、あからさまに「アタシ語りたいの語りたいの」全出しで御座いましたのことよ。しかも、とても「売文で生計を立ててきたいい年齢の大人」とは思えない言葉の使い方が頻出で、おいおいギャルじゃないんだから・・・と幾たびも眩暈を覚えてしまった次第でございました。
やれどこそこのおむすびは身体に良くて美味しいだのピラティスがどうだのネット通販がこうのだのアロマテラピーがどうしただの、「出産前に『なんて素敵!』と買ったおフランスの肌着はやっぱり日本の乳児には合わなかったので、肌触りのよろしいどこそこの浴衣を買った」だのと、そりゃあもう「アタシったら金にあかせてこんなお素敵な育児!」が満載。
いや、部分的にはとても納得できる箇所もあったんですよ。例えば、「もっと『シッターさんを頼む』事への心理的抵抗をなくすべし!」とか、「このチャンスに夫をきっちり教育しなければならん!」だの。でもねえ、やっぱり、
「平日はシッターさんがやってくれるからいいけど、土日はワタシが子供の沐浴をさせなくてはならない!」
なんて、さも「ワタシってこんな大変な事をやりとげたのよ、偉いでしょ」と言わんばかりの調子で書かれてしまいますとですね、「週末だけとちゃうんかい!」と思わず裏拳で突っ込みたくもなろうと言うもの。さらに、全編「どこそこのなになに」と言い続けて、「こんなにもモノにこだわっている私」をアッピールしまくっている割には、
「うちは夫も私もアンチブランドなので」
などとしゃあしゃあとお書きになっておられて、脱力しきりでございました(でも、俗物の私がいくつかのアイテムをそこそこ羨ましがったりしていたのは・・・内緒だ。だはは)。
ちょっと本格的に「あ、ここは嫌だな」と思った箇所。それは、配偶者の親がクリスマスに送りつけてきたプレゼントに対し、「プラスチックのけばけばしくセンスの無いおもちゃ」と文句たれたれだった事。いや、私だってプラスチックのけばけばおもちゃは嫌ですよ。それは判りますとも。なんかこう、音がピコピコ鳴って邪魔くさくていつ捨てたらいいのかタイミングも難しくて、でも中途半端に子供受けは良かったりなんかして。相当トホホですとも、嫌ですわよ、嫌ですけどね、「毎年送りつけてくるんだろーか」なんて出版物に書くくらいなら、日頃からうまくダンナを使ってやんわりと「うちはいつもこういうものを使ってるんです、こんな感じの物を友人から頂いてとても嬉しかったです」というようにリードしときゃいいのに、って思う訳。今自分が子を育てているようにして自分の配偶者を育てた親に、自分の方からは何の努力もしないでああいった形で露骨な軽視を向けるってのは・・・どうも解せないなあ。それもさー、たかだか年に数回じゃないのさ。同居して、耐え難きを耐え忍び難きを忍んでる人だってたくさん居ると言うのに、たかだかプラスチックのおもちゃ程度で世にも不幸そうに書いてどうするよ・・・と、一気に萎えてしまった事でしたよ。
読了してつくづく思ったのは、(いきなり話が飛びますが)西原理恵子の凄さです。
彼女の何が凄いって、あのヒトは、家を建てたけれど家建て本を出してない。出産したけど出産本を出してない。そして、どうしようも無い元配偶者の親(鴨は今母親と一緒に住んでるという話で、つまりはサイバラのご近所さんな訳ですが)を作中ほとんど出してない。「育児本」は、まあ『毎日かあさん』が出てますが、あくまでも凡百の思う「ワタシが語りたい!」事ではなく、「観察記」であったり「(子供というフィルターを通して自分の子供時代を見つめる)懐古記」であったり。その辺が、「ものかき」として妙にストイックなのよね、としみじみ感服した次第です。露悪趣味と自分語りの垂れ流しとをあそこまで峻別出来るって所が、無頼サイバラのカッコいい所以なのかな、とちょっと思った読後感想なのでありました・・・って、着地点がそもそも読んだ本と大きくズレてますがな。あっはっは。

横森式おしゃれマタニティ 育児篇―ウリの成長日記 (文春文庫PLUS)

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毎日かあさん カニ母編

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