「ビル会社やメーカーを散々悪者にしたあれだけの報道の中で、子供の手を離していた母親の不注意について誰も指摘しないというのは、いかにも“視聴者大事”なテレビ的」
という記述をあちこちでほろほろと読んであらびっくり仰天。
・もうすぐ小学生になる6歳児
・久しぶりに単身赴任の父親に会いに上京
・目新しいスポットに観光に訪れた
これだけの事実が提示されているというのに、これでもまだ「母親が手を」などと平気で言える想像力の無い人も居るんだなあ、と。よちよち歩きの1〜2歳児ならまだしも(いや、2歳ともなるともう充分に「それどころじゃない」のかも知れませんが)、6歳男児がああいう場所で、おとなしく母親に手を引かれてる情景なんて・・・ちょっと考えただけでも、明らかに「そっちの方が不気味」じゃありませんか?一体どんな抑圧系子育てをしたらそうなるんだ、っていう。
そもそも、その母親だけでなく、世間一般が「回転ドアで子供がこんなことになる筈なんて無いだろう」と思っていたからこその今回の衝撃だったんであって。危険が予測されていたならまだしも、流石にこのような「まさか万一」の事態を四六時中想定して子供の手を引いていたら、1.子供が過保護の結果スポイルされて大変な事に 2.母親がノイローゼになって大変な事に という展開の方が容易に思い浮かびます。
「非日常の環境にある6歳男児を押さえつける難しさ」程度なら、子育ての経験が無くても、身近に小さな子供が居なくても、最低限の想像力があれば充分に思い浮かべられそうなもんだと思うんですが、そうでも無いんでしょうかねえ。
一時の「パチンコ母」の続発以来、何だか「子供に何かあった時には“母親の不注意”を責めよう」という風潮が出来つつあるみたいで。もちろん「パチ母」「ゲーセン親」は論外中の論外ですけども、何か幼い子供に起こる毎に、状況無視して「とりあえずハハが不注意だったんじゃない?」と平然とのたまえる人っていうのは、ある意味「親がどれだけ自分を育てるのに苦心してくれたか」を完全にないがしろにしているみたいでちょっと違和感を覚えます。流石にこの程度は、たとえ自分が親でなくてもちょっと位は想像つくでしょう、だって自分だって昔は子供だったんだから、ねえ<ナニを血圧上げてるんだか。