確か産後3ヶ月くらいの頃、「子供を置いて観劇に行く駄目母な自分」についてぐっだらぐっだらぐちぐちと辛気臭い事を書いていたような気もしないじゃありませんが。まあアレです、過去のことはさらっと忘れて前向きに行こうじゃありませんか(<おい)。
という訳で、子供を実家に預けて『透明人間の蒸気(ゆげ)』を見に行って参りました。だってさー、宮沢りえ阿部サダヲ新国立劇場の中劇場で、まさかそう簡単に土曜日ペアのチケットが取れるなんて思ってなかったんだもーん。ついうっかり「駄目で元々」と電話してみたらちゃらっと席が取れちゃったので、仕方なく(嘘)1ヶ月前から入念に根回しをしてむん子を預け、ワクワクしながら行って来ちゃったという訳です。ええ、どうせ駄目母、居直ってやる。
さて、そのお芝居。
実は私、同じ野田秀樹の『贋作・桜の森の満開の下』が再演されるという噂が立った時、
「初演ペアがもう苦しいようならば、そこはヒトツ何とか宮沢りえ阿部サダヲで!」
と随分強く願っていたんです。堤真一深津絵里も大好きだけれど(特に深津っちゃん)、どう考えても"耳男と夜長姫"じゃないよー、と。私の中ではやっぱり耳男は、ヒメの大きさに押しつぶされそうになる物理的に小さな柄のヒトでなければ厭だったし、夜長姫は「出てくるだけであからさまに"異形"な感じのある」女性が良かったんだよなあ(昔宮沢りえ玉三郎の『海神別荘』か何かに出た時に見に行って、登場シーンでの演技力もへったくれも何もかも吹っ飛んでしまう存在感と美しさに仰天した記憶があったので、「毬谷友子が駄目ならせめて宮沢りえくらいに"劇場を圧することの出来る"女優がいいなあ」と思っていたのね)。
ところが、蓋開けて見たら結局は堤真一深津絵里で、この二人が好きだっただけにちょっとがっかり、だったんですよねえ・・・。
で、なんでそんな昔の話を持ち出したかと言うと。
今日の『透明人間の蒸気(ゆげ)』、こっちこそ堤・深津で見たかったなあと。いや、宮沢りえもサダヲも素敵でしたさ。それこそ、最初にあの長い深い舞台の奥からりえちゃんがどーっと走って来た時は、「そう!それが舞台の宮沢りえ!」とぞくぞくしましたし、阿部サダヲも(ちょっと太ったけど)見事に動いてたし。
ただね、やっぱりこう、頭の中でついつい並べちゃうと・・・どうしても、『桜』と逆にして欲しかったなあ、って思ってしまう自分の未練がましさが情けないというか何というか。何と言うかね、途中でりえちゃんの美しさがほんのり台詞の邪魔してる感じなんかがあったりして。あまりにも瑞々しく世間離れして美しい"ケラ"だったので、「どうせ足の裏で世界を知る娘なら、やっぱり地に足の付いた深津っちゃんでも良かったんじゃないかいな」とついつい。
ストーリーは、やっぱり『オイル』と地続きな感じ。オットは、
「何度目かの野田劇でようやく頭が付いてくるようになって、今日は本格的に楽しめた」
と申しておりましたが(ああ!『半神』を観て「で、結局生き残ったのってどっち?」と聞きやがった頃を思うと、なんたる進歩!)、どうやらこれは、久しぶりに野田秀樹が話のコアに大きく関わるキャラクターを演じていたからかと。やっぱり、書いてる本人が台詞を口にすれば、話の伝わり方もより明確になりますもんねえ。
前回いきなり舞台に零戦や龍がやってきた時には口あんぐりでしたが、今回は全面的に舞台装置も素晴らしかった(オットいわく、「やっぱり岳蔵クンとはちょっと方向性が違うよね」<比べるなよ)。ダンボールを縦横無尽に使うあの見事さは、少し前の野田芝居を思い出させてちょっと嬉しかったりも。
ま、結論から言えばとても幸せな良い時間を過ごしたわ、という感じなんですが。ただまあ、『オイル』程には、ぜひ人に見て欲しい、そしてその感想を聞かせて欲しい・・・と思う様なお芝居という訳ではなかったかな、と。
いやしかし、六平直政さんはスゴかったなあ。全然ニンに合っていなかった『欲望と言う名の電車』のミッチが悪印象を残しちゃってたんだけれど、今回は動きと言い演じ分けといい素晴らしかった!堪能致しました、お見事でございました。有薗さんも高橋由美子も秋山御姐様もそれぞれに素敵で、ちょっと「これだけの面子を苦も無く揃えちゃう野田秀樹ってズルいなあ」と思ったのでした。そろそろ"育てる苦労"ってのをしてみる気は無いのかね?と(笑)。