ああ、そうだそうだこのネタ書くの忘れてた。
先日、久しぶりに人間ドックに行って参りました。前回は99年の8月20日、その前が97年の11月7日(ローカルに保存しておいた昔のWeb日記を掘って発見。懐かしいなあ・・・という訳でしばし読み耽ってしまいました)。随分間が空いちゃったので、まあ色々とあった訳です。
まずは最初の問診で、いきなり担当医に
「あれ?○○さんですよね?えーと・・・」
としばし頭を抱えられまして。何がアレだったかと言うと、他でもない体重の推移でございます。97年に受診した時はぎりぎり標準体重の枠内だったんですが、99年にはたった2年でそこから約20キロオーバー。そして今年は、99年マイナス10キロ。
「同姓同名の別のカルテを持ってきちゃったのかなあ、でもなあ、同姓同名が居るのかなあ」(私はどちらかというと珍しい名前)
と悩む医師に、とてもじゃありませんが「あっはっは、最盛期は今より更に18キロほど太っておりましたんですよー」とは言えませんでした。いやはやすさまじい体重の変動ですなあ<何をまた他人事のように。
さてここで問題です。私が一番太っていた頃(大体2002〜2003年の話です)の体重は、97年を基準とするとプラス何キロでしょう。想像するだに恐ろしい・・というより、下手すりゃほぼ小学生1人ぶんだわな。
で。
更に笑える事態が、超音波検診で発生したんでございます。
担当は、30歳くらいの感じのいい女医さん。まずはゼリーを塗りたくり、腹出してぐりぐりと機械を押し当てて・・・押し当てて・・・押し当てて・・・そのうち徐々に、担当医の手つきに焦りが見え始めまして。で、かなり長い事グリグリやった後、その女医さん恐る恐る口を開いて仰るに、
「あのう・・・○○さん、前回受診してから今回までの間に、胆石の事でどこか病院にかかられましたか?」
そう、彼女、いくら探しても私の体内に胆嚢が見つからないので冷や汗をかいていたのでございます。
実は私、99年の12月に別の病院で胆嚢摘出手術を受けておりまして。元々私の場合、胆石は親からの濃厚な遺伝形質。おまけに、前段でも書きました通り、食生活の不摂生でかなりの過体重でしたので、体内の石がかなりの暴れっぷりになってしまって居たんですね。
「あなたの場合は、対処療法を取っても必ずまた再発する。幸い僕の後輩に腹腔鏡で胆嚢取るスペシャリストが居るんだよ。まだ若くて先が長いのにいちいち胆石の心配しながらメシ喰い続けるのも可哀想だし、いっそばくっと取っちゃおうね」
という医師の判断で、まさに「ばくっと」取っちゃった訳なんです。
ナンだか最近色々と言われておりますけれど、流石に腹腔鏡手術と言うのは大したもので、現在私のハラに開いた4つの穴のうち明らかに見て取れるのは胸下の1つだけ。へそ部分の孔はへそしわに隠れ、わき腹の2つは当の私でさえ「えーとどこだっけ」としみじみ探さないと見つからない始末でございます(更に、その後妊娠線なるものが発生したおかげで、余計に判別不可能な状態に)。胸下の1つだって、手術痕とさえ言わなければ、単なる下着のこすれ痣程度にしか見えません。
という訳で、薄暗い検査室の中でぐりぐりやってた女医さんには、全く手術の痕が判らなかったらしいんですね。
「いやあ、胆石がある程度ならともかく、『胆嚢摘出』って段階に行くほどの年齢でも体重でも無いし、手術痕も見当たらないし、私どうしようと思っちゃいました」
そりゃそうだ、ある筈の臓器が無かったら驚くわ。あっはっはー(いやしかしよく考えると、これも極端な体重変動が招いた事象といえば言えるんだなあ)。
最後の結果診断では、「出来ればあと3ヶ月の間に最低でも5キロ落としましょうね。来年いらっしゃる時には、とりあえず健康のためにも97年のレベルまで戻しておきましょうか」とニコヤカに言われた私。しかし、その後検査絶食の空腹に耐えかねて、
「こんなに腹が減ってるのにマズい病院メシなんか食えるかー!」(昼食付きコースだったのよ)
としゃぶしゃぶ屋に駆け込んでたらふく食べちゃったこの意思の弱さが何とも・・・いっそ半年ぐらい、肥満療養として軟禁されちゃった方がいいんじゃないのかしら、私の場合。あーあ。