独身税などというトンチキな物について具体的な議論が交わされている、という話を漏れ聞いてもうぐったりしてしまい、このモヤモヤを解消するためには書かずには居られん!と。
あのねえ、この多様化の時代に、「産みたくない」という人に「産め」っつったって絶対に意味は無いし効果も無い。ただ一時的に税収が増えた格好になるだけで、絶対に解決にはならないよ!それよりもむしろ、「産めるなら産みたい」方面を手厚くした方が、ずーっとずうううううううっと建設的じゃありませんか?それが、言うに事欠いていきなり“独身税”だってさ!もう、バカかと、アホかと。
市が主催する育児教室に参加してびっくりしたのは、「おいおいうちの市には『出来ちゃいましたー、産んじゃいましたー』ってのは居ないのかい?」という事。実は、自己紹介で一番初めに喋った人が、「結婚10年目でようやく授かった子なんです」とやってくれちゃったためにその後誰もカミングアウト出来なかったんですが。後からじわじわ判ってきた事によると、どうも参加者の半数以上が不妊治療の経験者!このコだけは違うだろう、と皆が思っていた若いお母さんも、
「結婚2年目から治療してて、2年半やって『そろそろ排卵促進剤注射しよう』って事になった矢先に出来て・・・」
と。まあ、公的な機関が主催するそのテの教室にわざわざ参加する母親ってのは、その時点で子供への思い入れみたいなものが他より強い・・・という事を考えれば、この率の高さも頷けない事は無いんですが。それでも、「産みたいと思って頑張ってる」人ってのは、多分今の政治家世代(の、特に男性)が思っているよりずっとずっと多いんじゃないでしょうかね。
そればかりでなく。
「私宝くじ当たったらあと2人は産むわー」「本当は2人目欲しいけど、仕事の都合もあって難しいのよね」「復職出来る確約があれば産みたいんだけど、絶対無理だからなあ」「上の子見ててくれる人が居たら、もう一度子育てしたいけど・・・幼稚園の役員とか何とか考えたらとても無理」などなど、「状況さえ許せば欲しいけど今は絶対に無理」と思っている人のなんと多い事か!最近、右向いても左向いても、「もう一人欲しいけど」という台詞ばっかりを聞いているような気が致します。
「産みたい、けれど事情があって産めない」人の“事情”を可能な限り取り除く・・・例えば、経済的負担(所得税の大幅減税とか医療費・教育費の補助増大とか)や就職の安定(産休の徹底とか病時保育施設の充実とか)、不妊治療の補助や(金銭的な部分だけで無く、全方位的な国民意識の啓蒙への取組とか)育児支援の充実(公的託児機関の充実とか保健婦の質的<(笑)量的充実とか)などなど、やったら確実に、かっくじつに数年後には簡単に実が収穫できる策はいくらでもある筈。
勿論、いくつもの反論が容易に予測されますわ。曰く、「所得税の減税狙いでコドモばかすか産んで産みっぱなしで育児放棄家庭の増加」「どうしてそんなに『ハハオヤ』ばかりを制度的に保護して甘やかさねばならない、民主的でない」「第一昔の母親というのは・・・」(<最後が一番ありがちで下らない)。
でも、でもさー。1.29人っすよ?一人の女性が生涯に出産するコドモの平均値が1.29!例えば、10人に1人がシングルマザーだとしても(いや、数字に根拠はありませんが<調べてから書けよ)、9人がそれぞれ配偶者を持っていたとして、19人の人間から13人の子供しか生まれないのよ?今のままだと、30%ずつ人口減ってっちゃうのよ?ぐちゃぐちゃ言ってる余裕、あるか?
簡単に乱暴に言ってしまえば、例えば「育児放棄」なんてのは「育児支援の質的量的充実」によってある程度チェックもカバーも出来るだろうし、「不妊治療の経済的補助」だって、「特殊出生率が3を越えたら漸減、4を越えたら基準見直し」って一律に決めといちゃえばいいじゃん。とにかくね、今はもう、「産んでいただけるならば」って姿勢で行かないと、その内本当に本当に深刻に困った事になりますよ、って。“独身税”なんて頓珍漢な事言ってないで、とりあえず「何とかしたら産んでくれそう」な期待値の高い方にBetしようよ!なあ!おい!
・・・ぜいぜいぜいぜいぜいぜい。久しぶりに乱暴極まりない事書いて疲れた。