夏ばてしてたり旅行に行ったり、なかなかに忙しい半月を送っておりました。で、こっちをついつい放ったらかしにしてしまいまして・・・あはは。いや、mixiの方ではこちゃこちゃ更新していたのですが。
前回以降の生活の中で最も大きなトピックは、「ついに携帯を買い換えた!」という事でしょうか。「史上最悪の端末」と呼ばれた携帯をついつい掴んでしまってから苦節1年、ようやく納得の行く携帯電話を手に入れて、現在うひうひ喜んでおります。そのうち、こちらでも携帯画像をびしびしアップしたいなあ、と。
[話]
中田英寿の英語。語学的な問題というよりも、その根底に流れる彼の姿勢にしびれました。
最初にnakata.netを読んだ時にも、イタリア語ベラベラ喋り始めた時にも思ったんですが。彼はとにかく、「きちんと自分の言葉で伝える」という事を、覚悟を決めて徹底してやっている。そのためにきちんと努力している。うーん、格好良い!
会見場で、日本人記者相手に「自分が何処で仕事をしているか考える必要がある。ここでは英語で喋りたい」と言い放ったらしく、それが一部で「ちょっとエイゴ出来るからってカッコつけてんじゃねーよ」と軽く不評をかこっているようですが。一種のビジネスマナーとして、彼の言っている事が大して間違ってないような気がするのは私だけ?例えば何かの会議をしていて、出席者Aと出席者Eだけが同国人だからってんでいきなり母国語で喋りだしたら、その場に出席している他の人たちは「それって何?」ってなるのが普通じゃない?記者会見で「英語で通すべき」と言った中田は、社会人として非常に真っ当なだけだという気がしてならない私。
正直に言って、はしゃぎたがりのマスコミが言うほど「エクセレント」な流暢な英語だったとは思いませんが。でも、確実に、「質問を聞き取り」(これも随分気を遣って貰ったか、エラいこと聞き取りやすくゆっくり質問してもらってましたけども)「自分の思う事、考える事、伝えたい事を自分で考えて直接話す」ことを徹底してた訳ですから、“流暢であること”なんかよりよっぽどそっちの方が価値が高い、と。
言葉なんてモノはあくまでも“道具”ですから、“喋ることが出来る”だけでは何の意味も無い訳です。「英語喋れればちょっとカッコイイから」と駅前留学したって、それを使う目的と意思が無ければすぐに忘れるだけ。
中田は、(勿論素晴らしい語学センスの持ち主でもあるんだろうけれど)明確な意思を持って、さらにその意思をきちんと形にして記者会見で披露して見せた。そこがもう、なんとも言えず格好良いじゃありませんか!あー、惚れ惚れ。あ、いや、彼のファッションセンスにはどーも納得行きませんけどね。うはは。