ある方の日記で『変わる家族 変わる食卓』という書籍の話題が出ておりまして。一応私としても“食育”に興味が無い訳ではないし、“マーケティング”という観点から読み解く事も出来る書籍と言う事で、オットと共読出来るかしら・・・と探してみたのですが。近隣の本屋には置いてなくて(去年の発刊らしい)、ちょっとネットでは買いたくない事情もあり、どうしようかな、と思案していた訳です。
ちなみに、何故ネットで買いたくないかというと。単純に、丁度2000円分の図書券が手元にある、というだけの話なのでして。現状、基本的に書籍代金に現金を回す程の経済的余裕が無いので、出来れば図書券使いたいなあ、と。
で、この図書券の出所がまたちょっとミソ。実は、最近むん子を連れて出かける事の多い場所に、かなり大手のリサーチ会社がマーケティングセンターを置いてるんですね。で、日中の子連れ主婦ってのは属性が判りやすいので、結構声をかけられやすい訳。私も最初は「えー、何だか怪しげ」と思っていたのですが、アンケート調査を依頼されるその物品がかなりあからさまに大手メーカーの商品ばかりなので、最近声をかけられると「無記名なら」と積極的に調査に応じるようにしてるんですね。で、その謝礼が、大抵1回図書券1枚な訳。それがちょっと溜まってて、手元に2000円分の図書券がある、という事になっているんですね。
つまり、最近私は“マーケティング”のもの凄く末端の部分を見聞しているという話なので・・・それもあって、『変わる家族 変わる食卓』という本に興味を覚えた、という展開なんです。
うーん、読んではみたいけどネットで買うほどでも・・・と未練がましくサイトを経巡ってましたら、なんと都合の良い事に、こんなサイトを見つけちゃいまして(読売ADリポート ojo:adv.yomiuri)。あらー、これはいいわあと読んでみて、何とも言えぬ違和感を覚えてしまった私。うーむ・・・この記事が問題なのか、それとも本そのものの内容もこういうものなのか・・・。
何と言うのかな、「最近の若い主婦は料理を作らない」という前提が、あまりにも人口に膾炙しすぎている気がするんですよねえ。その概念の一般化を支えている一端が、よりにもよって、「でもアタシだけは違うから」と思い込みたい料理自慢の若い主婦だったりする訳で。「普通の同世代の主婦は料理をしないのに、こんなにちゃんとやっているワタシ」をアピールしたいがために、
「最近の人はお料理しないから。だって、出来合いのほうが安くて美味しいし」
という事を積極的に世に出していこうという人も少なくないような気がしてしまう私(そしてまた、それに「パラサイトワイフ」発言を丸呑みしちゃうようなオヤジがまんまと乗っかるって構図だわな)。
前記のサイトに出ている写真は、多分殊更にセンセーショナルな写真なのではなかろうかと。コンビニおにぎりに菓子パンにジュースが、皿も出さずに雑然と食卓に並ぶ写真。弁当屋のパックそのままがダイレクトに食卓に乗っかっている写真。いかにも人目を惹きそうな、インパクトのある「崩壊食卓」の写真な訳ですが。それが現状、全ての若い家族の中で高確率で起きている事象だとは、どうも私には考えられない・・・。
これは、上記のサイトの記述では無いのですが。別の場所でこの書籍に言及しているサイトを見ると、例えばこんな事が書いてあります。
「『うちの子はどうやら白いごはんが嫌いらしいので』と、家族の好き嫌いを他人事のように述べる」
「『野菜は子供が嫌いでどうせ食べないから食卓に乗せない』と効率化を盾にする母親が少なくない」
「『納豆は夜食べるといいと聞いたので、うちでは夜にしか納豆を食べない』と、献立に一切のフレキシビリティが排除されている」
「『これ(この献立)で正解ですか?』と聞いてくる若い母親も少なくなかったそうだ」
うーん。「家族の好き嫌いを他人事のように語る」母親をネガティブな筆致で書く一方で、“子供の好き嫌いを完全に把握している母親”の献立の組み方もほんのり疑念を交えつつ描写してみせたり、「応用性の無い献立」(すまん、私なんか典型的なコレだ)について非難めいた書き方をしている割に・・・つまり、「それは誤り」と指摘している割には、「正解主義」を揶揄して見せたり。
あ、いや、これは勿論、この本を上梓された岩村暢子氏の書きっぷりでは無いと思います。単純に、そのサイト(この本について述べたサイト)の筆者が、ご自分なりの色を乗せて書いた事が、ことごとくどこかで矛盾している、というか、破綻している、というか。つまりは、その方は、この書籍を一読して、ご自分の頭の中で「最近の母親はダメ」というルートを先に組んでしまった上でばらばらに事象をかき集めて書いちゃった、んでしょうねえ・・・。
例えば、例えばですよ。「食事を摂取するにおいて、個々の食材の効能を効果的に得るためには、摂取のタイミングも重要である」という前段があって、「とある主婦は、納豆を毎夕食に出している」という文章が続いたら、それはポジティブ。でも、「最近の主婦は食卓に関心が無い」という前段があって、同じ文章を後ろに続けたら、それは「献立考えてないダメ主婦」という色を帯びる訳で。その辺りの部分で、“食卓崩壊”という最近の口触りの良いコトバには、あまりにも分厚い化粧がされてしまっているような気がしてならない訳です。
だってねー、ちょっと本屋見てみたら、やれマクロビオティックだケンタロウのおいしい弁当だ栗原はるみ平松洋子だ飛田和緒だ平野由希子だ、もう料理本満艦飾ですよ(あ、忘れちゃいけない藤野真紀子議員もね)。はたまた、ネット見てみりゃごはん日記やおべんと日記のどれだけ多い事か。
確かに、二極分化してる部分は多少あるのかも知れません。しかし、この本を読んで、いかにも「食卓崩壊」が全体のトレンドであって、若い主婦は料理もしないでママ友と呑んだくれてるかテニスに現を抜かしてるだけ、というような印象を与える引用をしてしまう向きが多勢居るのもまた事実。それを考えると、何だかこう、もの凄くもにょもにょとしてしまう私なのであります。どうしてこう最近の中高年は、無理矢理にでも「若い人たちはダメ」と言いたがるのかな、と。そして、「自分」を相対的に高めるために、上手い事その傾向を煽る若い世代の存在もまた苛つきの種だったり。ううむ・・・。