うちの母親は、私が自分の用事で外出する為にむん子を預ける、というのをえらく嫌います。決して孫が可愛くない訳では無く、私が居て(=責任は私に在ると言う条件の下に)むん子を甘やかす、モノを買ってやる、モノを食べさせてやる、というのは非常に好きなのですが、とにかく「私が私の欲求を満たす為に娘を置いていく」というのが大変腹立たしいらしいんですな。
一例を挙げますとこんな感じ。
ある時、久しぶりに会った友人が、私のあまりにも惨めな姿に慨嘆し、「ねえねえ・・・アンタのお母さんってさ、アンタのそのむちゃくちゃな髪を見て、『それはあまりに酷い、子供は預かっててやるから美容院に行ってらっしゃい』ってどうして言わない訳?」と呟いたんですね。で、それをそのまま母に伝えた所、
「冗談じゃないわよ、そんなもんひっつめて結わいておけばいいじゃないの」
とあっさり却下されたばかりか、その後小一時間も「大体私がアンタを生んだ時には1年も美容院になんか行けずに・・・」とぐちぐちぐちぐち聞かされてしまい、状況が改善されるどころか無闇に叱られてしまった、という事がございました。
そういった訳で、もう事前から精神的に大変に疲労困憊しつつ根回しに根回しを重ねて幾度も嫌味や愚痴を聞かされて(しかも、ヘタに入院なんか入っちゃったもんだから更に大変な事になったりしつつ)、何度も挫けそうになったのですが。どうしてもどうしてもどうしても行きたいイベントがあったので、母を拝み倒してむん子預けて、今日は夫婦でお出かけをして参りました。夫婦で外出なんて、多分春の人間ドック以来。
「どうしても行きたかった」そのイベントとは、お芝居でございます。野田地図、『贋作・罪と罰』。だって!段田安則古田新太!新旧野田芝居中心役者の揃い踏みよ!段田さんっつったら、私が生まれて初めて惚れた舞台役者よ!古田新太っつったら、私が今一番惚れてる舞台役者よ!これを見逃したら、もう一生後悔するに違いない!母に何を言われようとも、絶対にこれだけは、これだけは見なくては!
・・・という訳で、必死でチケットを入手して(しかし、今回は公演日数も長く、おまけに演出の都合上客席数が多くなり、野田地図公演にしては妙にチケットが取りやすかったらしい。ちなみに、立ち見含め当日券もかなり簡単に入手できるみたいです)、久しぶりに渋谷のシアターコクーンまで出かけて参りました。
以下、とても支離滅裂に今日の時点での簡単な感想を。ちなみに、バリバリネタバレがありますのでご注意下さい。



初演、見逃したんですよ。こちらも、筧生瀬の揃い踏みで大変魅力的だったんですが、主演女優があまりにもあまりで・・・なので、「予習無しで話判るんかいな」とどきどきしながら出かけたのですが、非常に明瞭な時間軸があって言葉遊びも殆ど無く、直球で判りやすいお芝居でございました。

基本的に野田秀樹のお芝居は、大体2〜3回は見るのが高校時代からの私のパターン。だって、1回だけじゃ大抵判んないんだもん。ははは。しかし、『オイル』の時もそうだったのですが、“生と死”“ヒトが他者にもたらす死”を(サブであれメインであれ)テーマに据えた最近の野田さんの脚本は、構造的な複雑さが全く無くて、ずどんと嵌って来る力強さを感じます。『桜の森』に代表されるような“完成されたファンタジーの中にこっそりテーマを忍ばせる”パターンも大好きなのだけれど、こういう直球勝負の野田戯曲も凄い、と思うし、好き。終盤の英と才谷が対峙するシークエンスでは、やっぱり台詞の力に泣けてしまいました。
しかし、演出。
野田さん・・・パンフでも演劇系雑誌でも、とにかくあちこちで役者が「好きにやらせてくれる」と言ってますが。解釈を役者に任せすぎでは?と思う部分がちらりほらり。特に最後の台詞、あれは英がものすごく嬉しそうに楽しそうに夢見るように語らないと、足元のあの悲劇が際立たないと思うんですが・・・なんであんなに切羽詰った泣きそうな悲しい顔つきで喋ってんだ?だって、「知らない」のが前提な訳でしょ?「楽しみで嬉しくて、大川の風を君と頬に受けたい」というシチュエーションなのに、何で泣きが入る?ううむ・・・。
これは、松たか子の咎というよりは、きちんと演出を付けなかった野田さんの咎だと思うなあ。以前から、女優さんの演出(特に、酔いがちなシーン・シークエンスに於ける)には難有り、と思っていたのだけれど、今回もちょっとね。松たか子、『オイル』の最後の泣きにはもうぞくぞくしただけに、今日のあれはかなり醒めちゃったし残念だったなあ。
一方で、段田さん!やっぱり凄いわ。何と言うか・・・野田戯曲の読み込み方とか筋立ての中での立ち方とか舞台での存在の仕方が、もう周囲を圧していて。オットいわく、「格が違う、って思った。あれは凄い、凄すぎる」と。実はオット、段田さんを舞台で見るのは初めて。「テレビで見てても確かに存在感あるけど・・・段田安則ってホントに凄いんだなあ」と、帰路ずーっとしみじみ感激してました。芝居の割合序盤に、古田新太と対峙するシークエンスがあるのですが。この二人があまりに凄すぎて、ある種もう、ストーリーから完全に浮いてましたもん。私ったら、比喩ではなく、本当に客席で鳥肌立てて震えてました。ああ、これ観ただけでもう当面お芝居見に行く事が出来なくてもいい・・・!というか、一生このシーンを胸に抱いて生きていく!<大げさ。
古田も・・・初演観た方からは「筧のほうがニンに合ってる」「段田古田が逆の方が」という声も挙がっているようですが、最後にいたるあの「大きさ」は、やっぱり古田ならではという感じもあり、私は満足でございます。終盤に向かって、きちんと構成を踏まえつつ「自分を見せて行く」という力の凄さ!最後のあの「わからん」のポーズがあれだけ見事に成り立つのは、やっぱり古田新太の力量ならでは、と思いますわ。ひとつ驚いたのは、英と才谷の抱擁シーン。まるで木と木が抱き合ってるような色気の無さで、「へええええ!古田って、色気を殺す芝居もちゃんとできるんだ!」としみじみ感激いたしました。何やってもフェロモン出しまくってるような印象があったんですが、いつの間にかちゃんと抑制できるオッサンになってたのね!
相変わらず、道具立てと舞台空間の使い方の素晴らしさは正に「天才」。前後を客席に囲ませて、あれっぽっちの舞台装置で、あれだけ明確に芝居を作る事が出来る、というのは、常人のなせる業では無いですな。昔見た青山円形の『武流転生』の悲劇を思い出すと(うはは)やっぱり野田秀樹って凄まじい、と思わざるを得ません(しかし、舞台脇に役者をスタンバイさせっぱなしにしておくってのは、古田新太に楽屋でテレビ見せないための対策としか思えない・・・嗚呼、私ってゆがんでるわぁ)。
とにもかくにも、段田さんと古田の両名を凄い脚本の中で濃密に堪能できて大満足。帰宅後の母の嫌味や愚痴も、もう耳に入りませんとも。これで多分、後3年は我慢できると思うわあ。行ってよかった・・・。